〔復興支援〕2013年3月23日~24日

〔復興支援レポート〕
河合真金コーチ 福島県南相馬市小高区へ
 
前回と同じく今回も小高区に行ってきました。小高区は震災後、原発事故により、およそ一年間警戒区域(立入禁止)だった所。平成24年4月16日、避難指示解除準備区域(出入自由、宿泊不可)に再編されましたが、震災から二年以上経過していても、様々な事情で手付かずの場所が沢山あります。宿泊場所(原町区・小高区の隣)からボランティアセンターに向かう迄の風景も、昨年5月初めて南相馬を訪れたときと大きな変化が見られない気がします。(田畑に放置されたままの車両、集められたガレキ、傾いたままの住宅等)
 
昨年5月の事。
家屋の片づけ、搬出のお手伝いを行った際に、被災者の方が言われていた言葉。
「直せるところは直してもう一度住みたい」
私は、その言葉を聞いた時、「えっ?」と、言いそうになりました。
何故なら・・・・
住宅の左半分は、地震により床が背丈ほど波打っていて、基礎もゆがんでいる状態。1Fは天井付近まで津波が押し寄せた跡が残っている。庭には車が3台あり、木やブロックにぶつかっていた。内2台は津波で流されてきた物で、所有者が見つからない。また、震災直後、避難のため車で関東の親戚の家に行ったが、「福島ナンバーの車がある」と近所で噂になり、数日で戻らざるを得なかった・・・と、話をしてくれました。
 
それでも前を向いて歩いて行く・・・。
福島には、そんな方が大勢いらっしゃるんです。応援せずにはいられませんね。
 
今回の活動は、ボランティアセンターの内勤業務でした。電話対応、被災者の方からの作業依頼受付、センター内の掃除、ボランティアの受付等々。今迄は、現場に出て力仕事しかやったことがなかったのでセンターを運営する事の大切さ、大変さをほんの少しですが、勉強させて頂きました。
 
小高区は、ほんの、ほんの少しづつかもしれませんが前を向いて動き続けていると感じます。
 
【写真1】 昨年5月には、5台ほどしかなかった刈払機
 
【写真2】 昨年8月に見かけた時はガリガリだった、「ミツオ君」?「タケオ君」?飼い主と離れ離れになってしまったのかなぁ???食べ物を手にしたボランティアさん達の所へ行っては、「ちょーだい」
 
【写真3】 広島から車で駆け付けた、高校生災害復興支援ボランティアさん達。前日は作業をし、当日午前中は別の地区で、午後からはセンターでお腹ペコペコのボランティアさんにお好み焼きを振舞って下さいました。美味しくて美味しくて、多めに焼いて頂き、翌朝と昼の分も確保(笑)別れ際、笑顔で「次はGWに来ますよ~」と。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

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