〔復興支援〕2014年5月2日~5月3日

←採れたての「もういっこ」

〔復興支援レポート〕

河合真金コーチ 福島県南相馬市小高区のボランティア活動 と 宮城のイチゴ農家さんへ

★私が行っているボランティアセンターのブログ★
http://ameblo.jp/v-home-net/entrylist.html

 

◆5/2(金)竹の伐採

密集している竹をチェンソーや鋸で伐り倒し、細いものはウッドチッパーで粉砕。太いものは枝のみ落とし、4~5mの長さにカットしてから指定の場所に移動する作業を行いました。勿論、チェンソーはメンテナンスまで出来る熟練の方しか使用しません。ので、私は専ら力仕事です。作業時は皮手を使用(ガラスや釘等危険物から保護してくれる)していますが、竹はスルスルと滑るので扱い辛く、地面も凸凹していて足を取られることが多々あり、見た目より体力が消耗するものでした。今回は、熊本・大阪・愛知・埼玉・東京の方々と作業!地元でも積極的にボランティア活動をされているという熊本の素敵なご夫婦?作業後、二日掛けて車で帰られると仰ってました。凄すぎます!避難生活をされている依頼主さん(画像1)は、「月に2~3回は来たくなって」と、庭も家屋も手が加えられ、大切にされている事が一目でわかりました。画像2は、昭和7年建築の依頼主さんのお宅の天井。見る人が見ればわかる頑丈な造りで、地震によるヒビや歪みが全く無かったと。

(敷地内の別の建物は倒壊した)

・・・帰れるものなら今すぐにでも帰りたい・・・

その思いがひしひしと伝わってきました。

◆5/3(土)宮城のイチゴ農家さんへ

2011年9月、宮城で知り合ったボランティアさんの紹介でお邪魔するようになったイチゴ農家さん。当時は、宮城のオリジナル品種「もういっこ」の苗が津波でほぼ全滅。譲って貰ったという「とちおとめ」の苗で12月のクリスマス迄に間に合わせようと農家さんとボランティアが一致団結して頑張られていました。ハウス建設から収穫まで、色々な事を経験させていただいた事を思い出します。震災の翌年からは、「もういっこ」を栽培。現在、ハウスも4棟増やし、収穫も最盛期で多忙な毎日を送られていました。苺の香りとご夫婦の素敵な笑顔を見られて、とても癒されました。

*帰り、高速道路のSAでヒッチハイクをしている大学生2人を乗せました。

一人は静岡出身の男性。先月、田畑を田畑として復活させるべく、仙台に瓦礫撤去のボランティア活動に行ったとのこと。車が無いのでアクセスの良い場所にしか行けないと、申し訳なさそうに話してくれたのがが印象的でした。もう一人は栃木出身の女性。震災直後から一年余りは、被爆したわけでもないのに「福島ナンバー」というだけで大勢の学生の車も傷つけられ、ナンバーを変えざるを得なかった当時の状況を、悔しそうに話してくれました。高校生・大学生のボランティアは、小高区の作業でも度々見かけます。今回出会ったお二人も、震災・ボラ活に対しての意識が高いことに感動しました。

楽しい時間を有難うございました。

画像1・・・依頼主さん (ご本人の許可を得て掲載しています)

画像2・・・昭和7年建築の天井

画像3・・・苺の収穫の様子

画像4・・・南相馬市海岸付近・有志で作られた「菜の花迷路」

画像5・・・変わらない・・・小高区のボラセンから数分の田んぼ

画像6・・・初めて一緒に作業したリーダーさんと、恒例の「松月堂」さんへ

26.5.2依頼主さん

26.5.2昭和7年建築被災者宅天井

26.5.3渡部さん収穫

 

26.5.2福幸浜団菜の花迷路 (2)

 

26.5.2木くずの山

26.5.2松月堂

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です